プリンシプルのない日本

 

プリンシプルのない日本 (新潮文庫)

プリンシプルのない日本 (新潮文庫)

 

 

イデオロギーというものは、あくまでも自分の思想というものが出発点となって出来上がったもののはずだ 

 人に聞いたり本を読んだりしたものを鵜呑みにせずに

自分の思想を持て、ということを言われています。

鵜呑みにしやすい自分としては反省。。

 

吉田茂)総理はやっぱり昔の人だなという感じが強かった。

昔の人はわれわれと違って、出るべきところにでると、堂々とした風格をだしたものだ。 

白洲さんをしてそう思うその風格。と、その風格がでるバックボーンは

何なのか。

 

弱い奴が強い奴に抑え付けられるのは世の常で致し方なしとあきらめもするが、言うこと丈けは正しいことを堂々と言って欲しい。(中略)力をつくって今に見ていろという気魄を皆で持とうではないか。又、力が出来た時に昔の様に近所近辺の弱いものいじめをするのはやめましょう。

最後の一文が特に素敵ですよね。

 

ほんとの妥協ということは、原則がハッキリしている所に妥協ということが出て来るんでね。日本人のは妥協じゃないんだ。単なる頬かぶりですよ。

指摘が一々今も通じる。。。

 

熱意だよ。日本でも明治維新の時の政治家と実業家は、熱意があったからあれだけの仕事が出来たんだね。

 

悪い現状を認識して、どうやったら国民が幸福になるかを考えるべきなんだ。よくなるとかならんというよりも、よくするほかに途がないことを認識すべきだというんだ。

「よくするほかに途がない」というのが、実は目から鱗。

なんだってそうですよね。実にシンプルですが、どうしても

「よくなるとかならんとか」という思考に陥りがちで。くよくよしがちで。

そうではなく、「よくするほかに途がない」。そうだよなぁ。

 

「昔の塾は塾生が塾長よりものを教わること以外に、塾長の私生活に日夜ふれてその影響を享けたことが甚大であったに違いない」

平素からの人としての姿勢。

粛々と精進します。